「玄米デカフェ」はじまりのはなし〜レシピができあがるまで~
米どころ庄内で生まれた、素朴で優しいお米の飲み物「玄米デカフェ」をご存知でしょうか?
レシピ作りをスタートしたのは、静まり返った深夜のキッチン。
自前のフライパンで試行錯誤しながら玄米を煎る日々。
商品となり、皆さんの元へお届けするまでには約3年の歳月を要しました。
長い時間を要したのには、私達の想いやこだわりをめいっぱい詰めているからです。
他では味わえずどこにも似てない、心を込めた一杯をお届けできるようになりました。
今回は、玄米デカフェが誕生するまでの
ー庄内町との出会い
ー玄米デカフェを作るに至った経緯
ー深夜のキッチンのレシピ作りのようす
玄米デカフェの「はじまりの話」を、お伝えしましょう。
Contents
庄内町との出会いについて
玄米デカフェを作るに至って「なぜ、庄内町だったのか」
ーまずは、そんな話から
ー庄内平野にある山形県庄内町、そして住人
米どころ、山形県。広大な庄内平野の中央に佇む小さな庄内町。
広大な平野が広がり、田んぼを通してあちこちで四季折々の景色を見ることができます。
平成の名水百選「立谷沢川」と「最上川」の流域からの清流が田を潤し、日本を代表するブランド米「コシヒカリ」「つや姫」の祖先となる「亀の尾」の原産地。亀の尾は庄内町、地元農家の方々の誇りでもあります。
どこにも遜色のない自然の恩恵を大切にしてきたからこそ、作付けされ続ける祖先米。
広がる田園、コメ作りに関わる人々、種まきから収穫。この全てが、まるで町全体を使ったお米の博物館。
―庄内町のことを、そのようにお伝えしても過言ではありません。
ー庄内町の人々
ここ庄内町で暮らす人達は、心温かですぐに馴染むことができるのが魅力のひとつ。
またここは、庄内平野の中でも酒田市と鶴岡市の大きな市に挟まれ佇んでいます。
それもあってか、庄内町の人々からは「頑張らなきゃいけない」という活気を感じずにはいられません。
そのエネルギーは、この町で暮らす人々と関わることで必ず伝わってくることでしょう。
ー庄内町と私の出会い
2011年、庄内町を通して「町営共同加工所を利用した商品を作って欲しい」との依頼が、株式会社NMHへ届きました。
NMHの小澤社長に、当時のことを聞いてみました。
「東京都多摩地域で生まれ育った私は、情けないことにかつて小さな町の排他的なイメージを持っていた。そんな私の考えを一瞬で覆すエネルギーがこの町にはあった」と。
それもあってか「温かく迎えてくれる庄内町の人々の力になりたい」と思うまでに、多くの時間は要らなかったとのこと。
玄米デカフェのレシピができあがるまで
玄米デカフェのレシピ作りについても、お伝えしましょう。
玄米デカフェを通して伝えたかったもの
NMHが、玄米デカフェを通して多くの人に届けたかったものとは何でしょう。
それは、忙しい生活を送る現代人にとって何より必要な「くつろぎのひととき」や「やすらぎのきっかけ」です。
その想いからできあったのは、素朴で優しいお米の飲み物「玄米デカフェ」、もちろんノンカフェイン。
ただ、実はこの頃の小澤社長の休息にはカフェインが欠かせませんでした。
そんな小澤社長の生み出したレシピは
ーなぜ、ノンカフェインだったのか?
ーなぜ、素朴で優しいお米の飲み物だったのか?
庄内町の特産品を商品へ
「町営共同加工所を利用した商品」と聞いて、まず思い浮かんだのはお米。
庄内町は、祖先米「亀の尾」の原産地であり、お米について誇り高き土地です。
ここ庄内町で育まれるお米を通して伝えていけるものを考えたときに、思いついたのが「素朴さ」と「優しさ」です。結果として、ノンカフェイン一択でした。
これが後に、素朴で優しいお米の飲み物「玄米デカフェ」として誕生します。
ただ、ここから「玄米デカフェ」誕生までは思ったより時間を要すこととなりました。
玄米デカフェのレシピ作り〜深夜のキッチン、フライパンの上で弾ける玄米〜
ー庄内町の人々の役に立ちたい
ー庄内のお米を使ってものづくりをしたい
その想いを胸に、小澤社長は夜な夜なキッチンに立ち続けました。
レシピ作りのために、毎日深夜まで玄米を焙煎し始める日々がスタートです。
夜な夜なフライパンを握り玄米を焙煎するスタイルは、なんとも新鮮だったと語られています。
ただ、玄米を煎る作業は前途多難で焦げたり色がでなかったりと、もどかしいもの。
やっとの思いでレシピは完成し、今度は別の誰かがやってもできるかどうかを試すことになりました。
時間はかかりましたが「大丈夫」「いける」を確信し、私達はいよいよ庄内の工場での製造に移ります。
ここまでの深夜のキッチンの焙煎作業の大変さが、今に繋がっているとこれまでを振り返えられています。
そして、工業化へ〜工場へ託す玄米デカフェの製造〜
玄米デカフェのレシピを工場へ託すが、ここでもまた多くの課題が立ちふさがってきます。
当然ですが、深夜のキッチンと工場での焙煎は全く異なるものです。
工場ではオーブンを使用して、より時間をかけて丁寧に玄米を焙煎します。
商品化するためには丁寧さとともに、より多くの人に届けるための生産力や手捌きも必要。
結果として、玄米デカフェができあがるまでには約3年の歳月を要することとなりました。
工場での、容易ならない工業化へ向けた詳しい話は次回のお楽しみにとさせてください。
アトリエ玄米デカフェのこだわり
アトリエ玄米デカフェでは、焙煎にはとてもこだわっています。
玄米は飲み物にすることで、香りを楽しみ、新しい感覚が体の深部に深く根を下ろし融和していくのを感じることでしょう。
ここで目指す味は、自分達が手に取り心から美味しいと思えるもの。
だからこそ、毎日でも飲み飽きず多くの人達がファンになっていくのも頷けるはずです。
これからの展開を何より楽しみにしているのは、私達なのかもしれません。