自然とつながりつづける懐かしい場所

庄内平野のほぼ中心に位置する庄内町は、湯殿山、羽黒山、月山から成る出羽三山のうち、月山山頂を有する町です。山々からの雪解け水が田んぼや畑に恵みを与え、日本一の米どころとも言われています。

 

懐かしい気持ちに癒される場所 ―庄内

菜の花の香りで春の訪れを感じる。初夏、田園には、艶めく鏡のように水がはられて。風にゆらめく稲穂を見たり、虫の声を聴きながらぼんやり夕日を眺めたり。寒い冬の朝、ギュギュっと踏みしめるのが楽しかった霜柱。子供の頃、当たり前のように一緒に過ごした懐かしい風景。いつからか、季節のうつろいを感じることが当たり前でなく、特別な安らぎになったことに気づきました。そんな私たちのちょっと疲れた気持ちを優しく包んでくれる故郷がここ、庄内にはありました。

 

自然豊かな穀倉地帯

山形県の北西部に位置し、東は山岳修験の聖地・出羽三山に抱かれ、北を出羽富士の愛称で親しまれる鳥海山を境に秋田県と、南を新潟県と接し、西は日本海に面している山と海に囲まれた広大な平野― 庄内平野。日本三大急流のひとつ、最上川をはじめ、出羽三山を源とする赤川、鳥海山系を源とする月光川など多くの河川から流れ着く清流。この恩恵を受ける自然豊かで肥沃な庄内は、古くから日本有数の穀倉地帯として豊かな食文化を築き、私たちに恵みを届けてくれています。

 

日本の原風景を感じる場所

庄内平野のほぼ中心に位置する庄内町。湯殿山、羽黒山、月山から成る出羽三山のうち、月山山頂の町です。月山から流れ来る平成の名水百選にも選ばれた立谷沢川と、日本海へと注ぐ最上川。清流の恩恵たっぷりの庄内町は、「日本一おいしいお米のふるさと」。四季折々で表情を変える田園は、日本の原風景を思い起こし、吹きわたる穏やかな風は懐かしい安らぎを感じさせてくれます。

 

日本屈指のパワースポット「出羽三山」

古の頃、日本列島に暮らしていた私たちの祖先たちにとって、山は神様が宿る神聖な場所であり、子孫を見守る祖霊が鎮まるところとされていたそうです。江戸時代より「西の伊勢参り、東の奥参り」ともいわれ、有名な「お伊勢参り」とともに人々の信仰の聖地として親しまれた出羽三山参り。出羽三山は古くから東北を代表する聖地として敬われ、日本屈指の霊場として知られてきました。

 

出羽三山の歴史

出羽三山とは、「羽黒山」「月山」「湯殿山」の総称。庄内地方のある地域がかつて「出羽国(でわのくに)」と呼ばれていたことから「出羽三山」と名付けられたとされています。その歴史は古く、遡ること1400年以上前。第32代天皇の崇峻天皇の第一皇子、蜂子皇子が父を暗殺した蘇我馬子から逃れ、修行のすえ、羽黒山に社を建てたことが始まり。羽根の黒い鳥(=カラス)に導かれて辿り着いたことがその名の由来とされている羽黒山の開山と同年に月山を、12年後に湯殿山を開山。その後、今日に至るまで「出羽三山」の持つありのままの自然の力へ思いをはせる気持ちは変わることなく続いています。

命のつながりを大切にする気持ち

大自然の恵みを受け、出羽三山とともに歩んできた庄内の人々が、山と自然を大切に思い敬う気持ち。人々の生活に根付いている「修験道」。山の神様を称え、同じく仏様も崇拝する。両方の特徴を持つ修験道は、山に籠って厳しい修行を行うことで悟りを得るとする日本古来の山岳信仰です。出羽三山は、熊野三山(和歌山県)、英彦山(福岡県・大分県)と並ぶ、日本三大修験道。それぞれの山が持つ意味―「羽黒山=現在」「月山=過去」「湯殿山=未来」。この三山を巡ることは、「死霊が父の精を受けて母の胎内に宿り、その生命が修行を通して生まれ変わる」ことを表していると言われています。このような山での修行は、「胎内の行」とも言われ、死と再生の「生まれ変わりの旅」として信仰を集めてきました。山岳信仰の聖地として崇められてきた出羽三山。ここには、死後も衆生救済(しゅじょうきゅうさい)に尽くすことを願った即身仏も数多く奉られています。そして、山々の持つ自然の力を身に着けるための山伏修行。今なお息づくこの伝統からも自然との共存、命を敬い思いやる気持ちを大切にしていることがわかります。

 

「食の理想郷」庄内

庄内地域は、対馬海流の影響を受け、内陸部に比べると温暖。年間を通して風が強く、特に冬には北西の季節風が吹き荒れ、地吹雪となる日も。険しい山々から平野、海へとつながる大地、春夏秋冬の変化が大きい気候が育んだ地力、ここで暮らす人々の知恵や努力。山・里・海と多彩な食材に恵まれた庄内は「食の理想郷」とも呼ばれています。

 

米作りの歴史

北に鳥海山、東に月山などの山々に囲まれた庄内平野。山々に降り積もった雪は春になると豊富な雪解け水となり、田んぼや畑に恵みを与えてくれます。今では、日本一の米どころとも言われる庄内。米作りが本格的に始まったのは、8世紀、出羽の国が置かれるようになってからのことでした。江戸時代、庄内藩主 酒井忠勝が稲作を推し進めたことで庄内は米の一大産地として知られるように。江戸が大飢饉に見舞われたときには、幕府が「西廻り航路」を拓き庄内から大量の米を運んで江戸を救った。という歴史も。このように米作りが盛んになった庄内の人々の米に対する情熱は強く、明治以降、全国の他のどこにも例をみないほど多くの人が苗の育成に挑戦してきました。その中の一人、阿部亀治が苗を育て、明治末から大正にかけて栽培されたのが、「亀の尾」。日本稲作優良三大品種にも数えられ、「コシヒカリ」や「ササニシキ」「あきたこまち」など、現在、美味しいといわれている品種のルーツとされています。米作りの歴史ひとつからも、努力・工夫に余念がない庄内の人々の気質を伺い知ることができます。

 

帰りたくなる場所

自然の恩恵、伝統・文化の継承を心と身体の両方に感じることができる場所。その風土を守り、作物を伝承し、絶え間ない積み重ねを惜しまない力強く、逞しくもやさしい人々。稲穂が揺れるここ庄内は、私たちが必要としている「ただいま」と言える場所なのかもしれません。