山形県東田川群庄内町余目字沢108-1
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Atelier GENMAI DECAF
アトリエ玄米デカフェ|atelier GENMAI DECAF
庄内の山並みにまだうっすらと雪が残り、田園には一面の水鏡が輝いていた5月。
あれから3ヶ月が経ち、今は田植えを終え、8月になりました。
春先に田植えをした稲は、夏になると葉を増やすのをやめて穂を作り始めます。
そして、8月上旬から中旬にかけての今にしか、見ることが出来ないのが稲の花。
この時期、稲が作り出した稲穂には、「えい花」と呼ばれる小さな白い花=稲の花が付き始めます。ひとつの稲穂には約100個もの花が付くのだそう。
えい花の中に白く咲いているのがおしべ。白い塊のようなところに花粉が入ってます。
一方、めしべは花の中にいて、おしべの花粉が風に運ばれて来るのを待っています。
庄内の田園に吹き渡る山からの風が花粉を運び、受粉のお手伝いをしているんですね。
この白く清楚な稲の花。
花びらはなくて、花と言われないと分からないかもしれないほど可憐な佇まいで且つ、とても繊細な花なんです。
稲の花が咲くには日光と温度条件が必要。
強い雨や、気温が低い日は受粉に向かないので花は開きません。花を閉じたまま晴れるのを待っています。
なので、寒い日が続くと、花は咲きそびれてしまうのだそう。花粉が飛んでこないとわかる日は花を閉じ、じっと待っているなんて面白いですね。
天候に恵まれ花が咲く条件が揃った日。花は午前9時半くらいに開き始めます。
こうして、しばらくの間、白い可憐な姿を見せたのも束の間、午後2時頃には閉じています。
つまり、この時期、田んぼの散歩道を白く彩る稲の花は、意識していないと出会えないまま咲き終わってしまっていることもある珍しい花。
出会えたら幸せな気持ちになれそうですね。
稲の花は、穂先から順番に咲き始め、全部咲き終わるまでは1週間くらい。早い時期に咲いた花から枯れてこうべが垂れ、見覚えのある稲の姿に変わっていきます。
こんな小さな稲の花が、庄内の広い平野に守られてお米へと育っていく。
稲の花が咲く庄内の田園は、改めて自然の力の偉大さに想いを馳せてしまうような美しい風景です。
庄内平野に一面の水鏡が広がり、いよいよ田植え。
水を張った田んぼの中にはまだ背の低いお米の苗がお行儀よく整列し元気に根をはり始めます。
でも、知っていますか?
田植えの直後、新しい根が出るのを助けるために田んぼの水をやや深め(5cm)くらいにして寒さや風から苗を守ること。
そして、若い苗が根付いたら、今度は、日中は浅く、夜は深くして稲の成長を促すこと。
稲が大きくなるまでは水を管理し、田んぼの雑草から守っていることを。
誰の心にも響くような美しい田園風景。
最近は、田んぼに浮かぶホテルと称した田園ビューを楽しむ宿泊施設も誕生しています。
これほどに、私たちを魅了するこの景色の背景には、農家の人たちの苦労や、お米への深い思いがあることを知ると、田んぼの水面の鏡にも美しいだけでない何か特別なものが映って見えてくる気がします。
ちなみに、庄内地方の田んぼで特徴的なのが、まるで、ものさしで線を引いたようにきれいな長方形。
これは、明治時代末期から大正の初めに田んぼの耕地整理を行ったから。田んぼを長方形にすることで農業機械が使いやすくなり生産力が向上したそうです。
いま、私たちが目にする田園風景の中に詰まっているたくさんの歴史を、美しい景色と一緒にこれからも大切にしていきたいと思います。

黄色の絨毯を広げたような菜の花畑。その先にはうっすら残雪を被った月山を眺めます。
春風が心地よい5月。ここ庄内の田園一帯には、この時期だけの美しい光景が広がります。水が豊かで、夏場の日照時間が長く、昼夜の温度差が大きい庄内平野は日本有数の穀倉地帯、お米作りにとても適した場所です。

遡ること奈良時代初期712年。出羽の国が置かれ、「柵戸(さくこ)」と呼ばれる開拓者が庄内にやってきて田んぼづくりに本格的に取り組んだところから庄内平野の米作りの歴史が始まったと言われています。
江戸が大飢饉に襲われたときに庄内のお米を大量に運び、江戸の危機を救ったという逸話があるほど。米農家さんたちは、夏になると庄内一帯に吹く季節風を「宝の風」と呼んでいるそうです。
昔から今に至るまで米作りは庄内にとって大切な宝、私たちがおいしいお米をいただけるのは、恵まれた自然条件だけでなく、お米を一生懸命作ろうとする農家の人たちの思いがあるからなんですね。
そんな、農家さんの思いが詰まったお米作りは、種籾から収穫まで1年がかり。
真冬の1月から春の足音が聞こえ始める3月くらいまでの間には、おいしいお米を作るための土台となる土づくり。お米の苗を元気に育てる準備期間です。
少し暖かくなる4月には、ビニルハウスの中で丁寧に苗を育てます。
そして、5月。田んぼには一斉に水が引かれ、いよいよ田植えの時期を迎えます。
豊かな雪解け水を満面に張り巡らした長方形の田んぼは、まるで空に浮かぶ雲を映す鏡のよう。
夕方、夕日が水面を覆う橙色の言い表せないほどの美しさは、見る人の心の中まで美しく染めてくれるような気持にさせてくれます。
ほろ苦さと香ばしさが魅力の玄米デカフェ。
玄米を丁寧に焙煎することで、あの独特の風味が生まれています。
この焙煎作業を行うときにとても重要になるのが温度管理。
朝、オーブン2台の稼働開始。
まずは低温から。そして、ベストな段階になるまで一気に火力を上げる。
丁寧に攪拌を繰り返すと、お米一粒ひと粒がぷっくりと膨らんで真っ黒い艶が出てきます。
こうすることで、玄米の旨味が増して、美味しい玄米デカフェが誕生。となるわけですが・・・
オーブンに火を入れて、木べらで混ぜる。
一見すると、単純で簡単と思われそうなこの作業。実際は、なかなかに手強いんです。
オーブンの庫内は、どうしても火力に違いがあり、ムラが出てしまうもの。
これを解決するために、何度もなんども撹拌をつづけて、火の通りを均一にしています。
オーブンの温度を上げる。
この作業ひとつにも外せないタイミングがあって、その日の気温や、使う玄米の種類によって違ってくるんです。
前回こうだったから、今回もこうだろう。というのが通用しないのがこの作業の難しさ。
現在は、全部で14種類の玄米を使っていますが、それぞれの個性に合わせて火加減や焼き時間を変えなければいけません。
中でも一番やっかいなのが、酒米。
本来は、日本酒を造る時に使われるお米です。
この酒米、普通のお米と比べて粒が大きめで、脂質も少なめということもあってか、火が入りずらくて手の焼ける相手。
普通の玄米でも、火入れ前の米粒に割れがあると火が入りにくくなるのですが、特に酒米は粒の欠けも多くて、焙煎にはかなりの手間がかかるんです。
大変だからこそ、奥が深いこの作業。
温度調節を正しく判断することで、焼きムラを防ぎ、ちょうどいい香ばしさを引き出しています。
玄米デカフェの誕生に向けて始まった挑戦。
美味しい一杯を作るため日々、格闘しながら数年が経ちました。
ゼロからのスタート。毎日が発見の連続。
玄米デカフェをもっと美味しくさせたくて、まだまだ研究中です。
そして、昨年12月。長年使ってきたオーブンが引退し、新しい相棒がやってきました。
このオーブンで、また新たな挑戦が始まっています。

私のホッとひと息に欠かせない玄米デカフェ。
中身だけでなく、お米の種類ごとに違うカラフルなシールが貼られたパッケージも私のお気に入りです。
この玄米デカフェ。
焙煎、製粉、工程表に書き表せないほどの作業を踏まえて、最低4日をかけて製品にし、皆さんにお届けしています。
冬の朝。今日は玄米デカフェの焙煎日。
寝起きの一杯、コーヒーで目を覚まします。(今日は、焙煎作業で玄米デカフェをたくさん試飲するからコーヒーで・・・)
軽めの朝食の後は、この時期ならではのお仕事、雪かきです。
除雪車が置き去りにした雪の塊をどけて、工房までの出勤ルートを確保。
遅刻せずにすみそうです。
AM9時。本日の作業開始、オーブンに火を入れます。
一旦オーブンに火を入れたら、そこからは火加減を調節したり、何度も混ぜ合わせたり、付きっきりで約4時間。
初心者の頃、ほったらかしにしてしまい、米が膨らまず、焦げる。という大失敗をしたこともありました。
なので、今ではこの間、オーブンに全集中。トイレにも行けず、ゆっくりご飯も食べられません。
オーブンを覗きながら立ち食い。なんてことも・・・
ちなみに、焙煎以外の作業の日は、お昼はちゃんと休憩します。
お昼ご飯は、工房の隣にある庄内のアンテナショップで売っている、美味しい手作り弁当を。工房内の休憩室にはこたつもあるんです。
いっときも気が抜けない焙煎作業の大変さは、トイレやごはんを我慢するだけではありません。
オーブンの中を確認するために、何回も腰をかがめたり、踏み台の昇り降りをしたり。
1枚、2Kg以上あるトレーを片手で支えるので、腰痛や腱鞘炎になったことも。
少しでも痛くならないように、毎日のストレッチは欠かせません。
肉体的なキツさだけでなく、工房内の暑さ、寒さも大敵です。
夏場は、焙煎の熱気でエアコンはまったく効かない蒸し風呂状態。
帽子の下にタオルを巻いて、額に流れる汗を抑えています。
冬場は逆に暖かい?ということにはならず、今度は工房内の換気扇から外気が入って室内にいても外と同じ寒さ。体中にカイロを貼って頑張っています。
大変なことも多くて、毎回、気が抜けない焙煎作業。
唯一無二の飲み物、玄米デカフェの焙煎という作業に携われることは苦労もありますが、新しいことへのチャレンジの楽しさはそれ以上です。
これからも、たくさんのチャレンジを積み重ねて玄米デカフェを楽しく造っていきたいと思います。
山形県東田川郡庄内町余目駅(あまるめえき)。
映画のロケ地にもなったことのあるこの駅の目の前には、庄内町のランドマークともなっている建物があります。
かつては米蔵として使われていた木造平屋建ての建物。
80年の歴史ある建造物がモダンに生まれ変わった、巨大な白い瓦屋根が美しい「庄内町新産業創造館クラッセ」です。
このクラッセの一角。
その名の通り、庄内町に新しい産業を。という想いで日々、仕事に取り組んでいるいくつかの工房があります。
同じ想いを持つ。そんな仲間たちの一つが、私たちの玄米デカフェ工房。
工房内は笑顔で挨拶。とてもアットホームな空気に包まれています。
重い玄米の袋を抱えていれば、お隣さんが手を貸してくれたりと、お互いに助け合いです。
おやつに焼き芋のおすそ分け。みんなでホクホクすることも。
そして年に2回、クラッセの大掃除があるのですが、これがまた工房同士の交流を深めるいい機会に。
なぜかというと、いつもは工房内でみんなマスクに割烹着姿。
これが、工房を出ての共同作業では、マスクも割烹着も無し。一緒に掃除をしながら、お互いに、こんな顔だったんだ。と、二度目の初めまして。を楽しんだりしています。
こんなふうに、楽しい仲間に囲まれた工房での玄米デカフェ造り。
「庄内町の役に立ちたい。」
そんな想いから研究を重ねてきた玄米デカフェは、どんどん成長しています。
最近では、いつもの玄米デカフェ以外に、日本全国のお客様からお米の指定を受けてオーダーメイドの玄米デカフェを造ることも増えてきています。
お米の美味しさを引き出す玄米デカフェで、自分の地域のお米のPRに繋げたいと願うお客様の期待に応えることは簡単ではありません。
試作の機会もないまま、初めてのお米を使い、ぶっつけ本番で焙煎に挑む時は、緊張と不安でいっぱいでした。
それでも、今までの経験で培った技術と勘で乗り切ったときの達成感は、言葉には言い表せないほどです。
そして今、玄米デカフェは、アメリカやシンガポールでも販売されるまでになりました。
庄内町の名前を日本全国だけでなく、海外にも知ってもらえるようになったことは驚きと同時に、とても嬉しい気持ちです。
これからももっともっと、玄米デカフェを多くの方のもとへ届けたい。そのために今、わたしがやるべきこと。
焙煎の技術をさらに磨くと同時に、新しい人材の育成にも力を注いでいきたい。
そして、大好きな玄米デカフェの焙煎の楽しみを味わいながら、これからもずっと焙煎士として頑張っていきたいと思っています。
